2012年05月18日
石川文洋さんの言葉
那覇市出身の写真家、石川文洋さんはベトナム戦争を撮影した報道写真家として有名です。現在、74歳。日本における元祖「戦場カメラマン」ではないでしょうか?
その石川さんが沖縄で40年前に取材で撮影した場所を訪れ、40年後の今を撮影したという記事が16日の沖縄タイムスに載っていました。
ひめゆりの塔には、「40年前は観光客なんていなかった」そうです。思い思いのファッションの修学旅行生を撮影しながらこんなことを記者に話したようです。「亡くなった学徒たちと同じ年頃でしょう。抑止力とは軍隊ではなく、人が戦争の実態を知ること。生徒たちが戦争を考えるきっかけになってほしい」と。「抑止力とは軍隊ではなく、人が戦争の実態を知ること」という言葉、深く共感します。あらためて心に刻みたいと思います。
今回の撮影では、普天間飛行場や辺野古の浜を分断する米軍基地沿いのフェンスがテーマになったそうです。そこでひとこと。「沖縄の土地なのに入ってはいけない、というのは人権無視。軍隊があるから基地があり、戦争がある。フェンスがなくなる日をこの目で見たい」。もっともです。石川さんの言葉はとてもシンプルで潔いものです。憧れます。
下の写真は2004年に私が撮影した「ひめゆりの塔」。夕方だったので人はまばらでしたが、ふだんは修学旅行生であふれています。石川さんが撮影したのもこの辺りだと思います。

その石川さんが沖縄で40年前に取材で撮影した場所を訪れ、40年後の今を撮影したという記事が16日の沖縄タイムスに載っていました。
ひめゆりの塔には、「40年前は観光客なんていなかった」そうです。思い思いのファッションの修学旅行生を撮影しながらこんなことを記者に話したようです。「亡くなった学徒たちと同じ年頃でしょう。抑止力とは軍隊ではなく、人が戦争の実態を知ること。生徒たちが戦争を考えるきっかけになってほしい」と。「抑止力とは軍隊ではなく、人が戦争の実態を知ること」という言葉、深く共感します。あらためて心に刻みたいと思います。
今回の撮影では、普天間飛行場や辺野古の浜を分断する米軍基地沿いのフェンスがテーマになったそうです。そこでひとこと。「沖縄の土地なのに入ってはいけない、というのは人権無視。軍隊があるから基地があり、戦争がある。フェンスがなくなる日をこの目で見たい」。もっともです。石川さんの言葉はとてもシンプルで潔いものです。憧れます。
下の写真は2004年に私が撮影した「ひめゆりの塔」。夕方だったので人はまばらでしたが、ふだんは修学旅行生であふれています。石川さんが撮影したのもこの辺りだと思います。

2012年05月15日
復帰40年の日に
復帰40年の記念式典の中継をテレビで見ました。約20分の放映は、野田首相が沖縄の基地負担軽減の努力を誓い、知事は普天間の県外移設と早期返還・日米地位協定の見直しを訴えるという内容でした。首相と知事の表情は終始かたく、40年経っても解決の糸口さえ見いだせない現状を象徴しているように見えました。
マスコミは40年目の復帰の日が近づくにつれ、沖縄の基地の現状や本土との意識格差を採りあげてきました。普天間基地に隣接する普天間第2小学校の校庭で真上を通り過ぎる飛行機の爆音に耳をふさぐ子どもたちの映像。繰り返される、基地の7割以上が沖縄に集中という数字。その中で沖縄差別と言う言葉もずいぶんと語られました。
今、差別を問題にするなら今月10日に行われた第3次嘉手納爆音訴訟の口頭弁論のことも問題にすべきだと思います。この裁判で国側は原告に対して「移転の補償などの施策を利用するか否かは、居住者の自由な意思に委ねられている。居住を継続するのであれば、騒音の影響があってもそこに居住する利便を選択している」「自ら居住を継続するとした者は、騒音の影響を自ら甘受すべきもの」などと主張したそうです。移転を補償しているのに騒音の激しいところに住んでいるのは勝手だ、と言っているわけです。もちろん原告団は緊急の抗議声明を発表しました。「祖先が代々住んできた土地に後から基地が形成された歴史を無視した本末転倒なもの」「騒音の改善に向け政治的責務を果たしていく気概、自国民の生活・健康を保全するという気概は微塵も見られない」と撤回を求めたそうです。当然の抗議です。(国は82年に始まった1次訴訟でも、騒音被害を訴えるのは「特殊な感覚の持ち主」などと主張していました。)3・11の津波で集落が流された人々に対してはコミュニティの存続を考えた復興を模索しているようです。それに比べてあまりにもひどい今回の主張です。
復帰40年の特集が組まれても本土のマスコミではあまり報道されないことがたくさんあります。先月モロッコで死亡事故を起こしたばかりのオスプレイの配備も頭ごしに決定しました。7月には那覇軍港に輸送されるそうです。知事は「いくら日米同盟の関係でも非常に無理があり、人のいい沖縄県民でも分かりましたとはいえない」と11日に首相官邸で述べています。
これらは現実に今起こっている具体的な沖縄差別の一端だと思います。
マスコミは40年目の復帰の日が近づくにつれ、沖縄の基地の現状や本土との意識格差を採りあげてきました。普天間基地に隣接する普天間第2小学校の校庭で真上を通り過ぎる飛行機の爆音に耳をふさぐ子どもたちの映像。繰り返される、基地の7割以上が沖縄に集中という数字。その中で沖縄差別と言う言葉もずいぶんと語られました。
今、差別を問題にするなら今月10日に行われた第3次嘉手納爆音訴訟の口頭弁論のことも問題にすべきだと思います。この裁判で国側は原告に対して「移転の補償などの施策を利用するか否かは、居住者の自由な意思に委ねられている。居住を継続するのであれば、騒音の影響があってもそこに居住する利便を選択している」「自ら居住を継続するとした者は、騒音の影響を自ら甘受すべきもの」などと主張したそうです。移転を補償しているのに騒音の激しいところに住んでいるのは勝手だ、と言っているわけです。もちろん原告団は緊急の抗議声明を発表しました。「祖先が代々住んできた土地に後から基地が形成された歴史を無視した本末転倒なもの」「騒音の改善に向け政治的責務を果たしていく気概、自国民の生活・健康を保全するという気概は微塵も見られない」と撤回を求めたそうです。当然の抗議です。(国は82年に始まった1次訴訟でも、騒音被害を訴えるのは「特殊な感覚の持ち主」などと主張していました。)3・11の津波で集落が流された人々に対してはコミュニティの存続を考えた復興を模索しているようです。それに比べてあまりにもひどい今回の主張です。
復帰40年の特集が組まれても本土のマスコミではあまり報道されないことがたくさんあります。先月モロッコで死亡事故を起こしたばかりのオスプレイの配備も頭ごしに決定しました。7月には那覇軍港に輸送されるそうです。知事は「いくら日米同盟の関係でも非常に無理があり、人のいい沖縄県民でも分かりましたとはいえない」と11日に首相官邸で述べています。
これらは現実に今起こっている具体的な沖縄差別の一端だと思います。
2012年05月12日
世論調査
復帰40年を前に、沖縄タイムスと琉球新報では世論調査を実施しました。沖縄タイムスは朝日新聞と琉球新報は毎日新聞と、それぞれ共同で調査しました。本土復帰についての沖縄の受け止め方は、沖縄タイムス・朝日新聞では83%、琉球新報・毎日新聞では80%が「よかった」とどちらも好意的です。
沖縄の基地集中についての調査結果を比べてみました。
まず、琉球・毎日の調査です。質問は沖縄に基地が7割以上集中している現状について、「不平等」「やむを得ない」「わからない」という選択肢です。沖縄では69%が「不平等」です。全国では33%が「不平等」、「やむを得ない」と「わからない」があわせて63%でした。
次にタイムス・朝日は「基地が減らないのは本土による沖縄差別か」という質問の仕方です。「そのとおり」が沖縄では50%、全国では29%です。「そうは思わない」が沖縄では41%、全国では58%です。
これら2つの結果を合わせてみると、基地集中の現状について、沖縄では7割が「不平等」、5割が「差別」と感じていることになります。全国では6割が「やむを得ない」か「わからない」、3割が「差別」ととらえています。大きな隔たりがあります。
単純な考えかもしれませんが、基地集中について、沖縄差別の意識はないが、現状がわからないから「やむを得ない」という他人事のような答えになってしまうのだと思います。11日の毎日新聞に『沖縄イメージの誕生』の著者である多田治さんの意見が載っています。「今のガイドブックは、基地問題を考えなくてもいいようになっている。しかし国道近くにこれだけの大きな広い基地がある異常さに気づいてほしい。沖縄でなお変わらない基地の存在があることを見つめることが大事だ」と書いています。
全国紙でも基地被害の実態を日常的に伝えることは少なく、毎年多くの旅行者が沖縄を訪れても基地の実態に触れることもないという現実を考えると、差別ではなく情報不足ということになります。私は最近、全国紙では毎日をよく読んでいます。大治記者の書くような熱意ある記事が頻繁に載ると「やむを得ない」や「わからない」の数は大きく減ると思います。
沖縄の基地集中についての調査結果を比べてみました。
まず、琉球・毎日の調査です。質問は沖縄に基地が7割以上集中している現状について、「不平等」「やむを得ない」「わからない」という選択肢です。沖縄では69%が「不平等」です。全国では33%が「不平等」、「やむを得ない」と「わからない」があわせて63%でした。
次にタイムス・朝日は「基地が減らないのは本土による沖縄差別か」という質問の仕方です。「そのとおり」が沖縄では50%、全国では29%です。「そうは思わない」が沖縄では41%、全国では58%です。
これら2つの結果を合わせてみると、基地集中の現状について、沖縄では7割が「不平等」、5割が「差別」と感じていることになります。全国では6割が「やむを得ない」か「わからない」、3割が「差別」ととらえています。大きな隔たりがあります。
単純な考えかもしれませんが、基地集中について、沖縄差別の意識はないが、現状がわからないから「やむを得ない」という他人事のような答えになってしまうのだと思います。11日の毎日新聞に『沖縄イメージの誕生』の著者である多田治さんの意見が載っています。「今のガイドブックは、基地問題を考えなくてもいいようになっている。しかし国道近くにこれだけの大きな広い基地がある異常さに気づいてほしい。沖縄でなお変わらない基地の存在があることを見つめることが大事だ」と書いています。
全国紙でも基地被害の実態を日常的に伝えることは少なく、毎年多くの旅行者が沖縄を訪れても基地の実態に触れることもないという現実を考えると、差別ではなく情報不足ということになります。私は最近、全国紙では毎日をよく読んでいます。大治記者の書くような熱意ある記事が頻繁に載ると「やむを得ない」や「わからない」の数は大きく減ると思います。
2012年05月08日
ゴーヤーの日ですが。
今日5月8日はゴーヤーの日。この日に合わせて芽を出したゴーヤーの写真をアップしたかったのですが、叶いませんでした。種を蒔いてから10日ぐらいになります。今日は心なしか土が盛り上がったところもあり、そろそろと期待しています。ゴーヤーの代わりに他の植物たちの写真を撮りました。
コデマリです。剪定好きの夫が去年たくさん枝を切ってしまったので、今年は花が少ないかもしれません。でも、咲き始めのこのぐらいのときもいいですね。

スズランの花はいつもながら可憐です。有毒だとは思えないのですが…。隣のブルーベリーの木の下まで年々侵出範囲を広げ、増えすぎて増えすぎて困っています。正確に言えば、困っているのは草刈担当の夫の方で、私は白い小さな花を見ながら和んでいます。

オダマキの花は、あちこちに咲いています。一昨日、激しく降ったひょうのために花びらがちぎれたものもありました。もとはと言えば、花好きの母と一緒にホームセンターで一鉢だけ買ってきたものです。ピンク色の変わった形の花に魅かれて選びました。10年ぐらい前でしょうか?母がまだ歩けるころでしたから。オダマキはちょっと変わった場所がお気に入りです。種が飛んで自然に根付くのは、庭の水道と壁の間とか、エアコンの室外機と壁の隙間とか、小石の混じった吹き溜まりのような狭いところです。種が比較的大粒で蒔きやすいので、私はターシャおばあさんにならって毎年いろんなところに蒔いて増やしています。というわけでオダマキも種がいっぱい採れます。育ててみたい方はお知らせください。

コデマリです。剪定好きの夫が去年たくさん枝を切ってしまったので、今年は花が少ないかもしれません。でも、咲き始めのこのぐらいのときもいいですね。

スズランの花はいつもながら可憐です。有毒だとは思えないのですが…。隣のブルーベリーの木の下まで年々侵出範囲を広げ、増えすぎて増えすぎて困っています。正確に言えば、困っているのは草刈担当の夫の方で、私は白い小さな花を見ながら和んでいます。

オダマキの花は、あちこちに咲いています。一昨日、激しく降ったひょうのために花びらがちぎれたものもありました。もとはと言えば、花好きの母と一緒にホームセンターで一鉢だけ買ってきたものです。ピンク色の変わった形の花に魅かれて選びました。10年ぐらい前でしょうか?母がまだ歩けるころでしたから。オダマキはちょっと変わった場所がお気に入りです。種が飛んで自然に根付くのは、庭の水道と壁の間とか、エアコンの室外機と壁の隙間とか、小石の混じった吹き溜まりのような狭いところです。種が比較的大粒で蒔きやすいので、私はターシャおばあさんにならって毎年いろんなところに蒔いて増やしています。というわけでオダマキも種がいっぱい採れます。育ててみたい方はお知らせください。

2012年05月06日
辺戸岬
下の写真は前回のブログ「海上集会とかがり火」の舞台、辺戸(へど)岬です。沖縄の最北端に立ってみようと車を走らせたときの写真がありました。2004年の写真です。この海の向こう側は鹿児島県なんだとしみじみとした気持ちになったことを覚えています。

本土を背にして、アジア、世界を向いて立つ祖国復帰闘争の碑。復帰前、北緯27度線の向こう側は日本の鹿児島県。こちらはアメリカ統治下の沖縄。20㎞余りしか離れてない近くて遠い島。今では異国となってしまった、親類や友人の住む島。沖縄の本土復帰を求めて辺戸岬と与論島で燃え上がったかがり火も、互いにはっきりと見えたに違いありません。

なんだか不思議な像があったのでシャッターを切ったことを思い出します。鳥にしてはちょっと…?何か…?これは「かりゆしの像」だそうです。頭は鳥、胴体は魚で、空と海を表したものだそうです。確か、本土復帰を記念して与論町から国頭村に贈られたものだったと思います。国頭村からはヤンバルクイナの像が与論に贈られています。どちらも両町村の友好を表す像です。

今回、「復帰40年を検証する4・28平和の旅」に参加した高校生が「4・28がどんな日かも知らなかった。今日は来てよかった。これまではテレビで基地のニュースやってるなぁくらいだったけど、少し考えてみようと思った」と話した記事を沖縄タイムスで読みました。また、辺戸岬で開かれた復帰40周年記念式典で司会を担当した辺土名(へんとな)高校の放送部は、復帰40年をテーマにした作品を制作して沖縄の歴史や思いを継承したいと考えているそうです。不発弾や米軍機の墜落、復帰問題など、沖縄の高校の放送部はどこも頑張っているなぁ、といつも思います。

本土を背にして、アジア、世界を向いて立つ祖国復帰闘争の碑。復帰前、北緯27度線の向こう側は日本の鹿児島県。こちらはアメリカ統治下の沖縄。20㎞余りしか離れてない近くて遠い島。今では異国となってしまった、親類や友人の住む島。沖縄の本土復帰を求めて辺戸岬と与論島で燃え上がったかがり火も、互いにはっきりと見えたに違いありません。

なんだか不思議な像があったのでシャッターを切ったことを思い出します。鳥にしてはちょっと…?何か…?これは「かりゆしの像」だそうです。頭は鳥、胴体は魚で、空と海を表したものだそうです。確か、本土復帰を記念して与論町から国頭村に贈られたものだったと思います。国頭村からはヤンバルクイナの像が与論に贈られています。どちらも両町村の友好を表す像です。

今回、「復帰40年を検証する4・28平和の旅」に参加した高校生が「4・28がどんな日かも知らなかった。今日は来てよかった。これまではテレビで基地のニュースやってるなぁくらいだったけど、少し考えてみようと思った」と話した記事を沖縄タイムスで読みました。また、辺戸岬で開かれた復帰40周年記念式典で司会を担当した辺土名(へんとな)高校の放送部は、復帰40年をテーマにした作品を制作して沖縄の歴史や思いを継承したいと考えているそうです。不発弾や米軍機の墜落、復帰問題など、沖縄の高校の放送部はどこも頑張っているなぁ、といつも思います。
2012年05月03日
海上集会とかがり火
大型連休といってもいつもと変わりない日々です。でも連休の狭間に沖縄タイムスがまとめて3日分、どさっと届くのが違うところです。最近はまた夜中何度も母に起こされるので睡眠不足。そのため昼間は二日酔いの日曜日のように集中力を欠き、ぼーっと過ごしてしまいます。ブログの更新も遅れました。
4月29日の沖縄タイムス、海上集会の記事は読みごたえがありました。豊富な写真と取材で充実した紙面です。私が今も教員を続けていたら修学旅行の事前学習に必ず使ったと思います。1面には「27度線平和誓う 43年ぶり海上集会」の見出しと洋上に集まっている漁船やサバニの写真。一見すると大漁旗を立てて悠々と港に戻ってきた漁船のように見えます。海上集会といっても若い人にはなじみのないものだと思います。私自身この日の沖縄タイムスで初めて知ったこともたくさんありました。
海上集会について簡単に説明します。1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効します。この条約によって敗戦国日本は主権を回復し独立を取り戻すわけです。でも沖縄など南西諸島の施政権はアメリカに。53年には奄美諸島の日本復帰が実現します。その結果、北緯27度線が国境となり、鹿児島県の与論町が日本の最南端に。そして沖縄は日本から切り離されます。だから沖縄にとっては「屈辱の日」となるわけです。沖縄最北端の辺戸岬(国頭村)から与論までの距離はわずか20㎞ほどだそうです。父母の出身地が与論と国頭村という場合も多かったでしょう。親族が引き裂かれてしまった現実は、38度線によって分断されてしまった朝鮮半島を思い浮かべてしまいます。
1963年から69年まで、沖縄の本土復帰を求めて北緯27度線で海上集会が開かれました。復帰40年の節目にあたる今年、43年ぶりの海上集会が開かれたということです。両町村から集結したサバニや漁船は20隻余り、約100人。午前11時半には、与論側からやってきた船と国頭村側からやってきた船が27度線付近で出会い、固い握手。友好平和宣言を読み上げたそうです。写真からもあふれるような喜びが伝わってきました。写真には沖縄本島の島影がうっすらと写っていました。近いんですねぇ。
海上集会と並んでもう一組の感動的な写真が!見開きの社会面です。右26面に与論町のかがり火と子どもたちの笑顔。左27面には「希望」や「友情」と書かれた松明によって点火された辺戸岬のかがり火。向かい合った一組の写真が、海を隔ててかがり火を見つめる与論町と辺戸岬の人々を結びつけています。どちらも午後7時過ぎに子どもたちによって点火されたそうです。歴史を学ぶ子どもたちや放送部の高校生のこともまた紹介したいと思います。
4月29日の沖縄タイムス、海上集会の記事は読みごたえがありました。豊富な写真と取材で充実した紙面です。私が今も教員を続けていたら修学旅行の事前学習に必ず使ったと思います。1面には「27度線平和誓う 43年ぶり海上集会」の見出しと洋上に集まっている漁船やサバニの写真。一見すると大漁旗を立てて悠々と港に戻ってきた漁船のように見えます。海上集会といっても若い人にはなじみのないものだと思います。私自身この日の沖縄タイムスで初めて知ったこともたくさんありました。
海上集会について簡単に説明します。1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効します。この条約によって敗戦国日本は主権を回復し独立を取り戻すわけです。でも沖縄など南西諸島の施政権はアメリカに。53年には奄美諸島の日本復帰が実現します。その結果、北緯27度線が国境となり、鹿児島県の与論町が日本の最南端に。そして沖縄は日本から切り離されます。だから沖縄にとっては「屈辱の日」となるわけです。沖縄最北端の辺戸岬(国頭村)から与論までの距離はわずか20㎞ほどだそうです。父母の出身地が与論と国頭村という場合も多かったでしょう。親族が引き裂かれてしまった現実は、38度線によって分断されてしまった朝鮮半島を思い浮かべてしまいます。
1963年から69年まで、沖縄の本土復帰を求めて北緯27度線で海上集会が開かれました。復帰40年の節目にあたる今年、43年ぶりの海上集会が開かれたということです。両町村から集結したサバニや漁船は20隻余り、約100人。午前11時半には、与論側からやってきた船と国頭村側からやってきた船が27度線付近で出会い、固い握手。友好平和宣言を読み上げたそうです。写真からもあふれるような喜びが伝わってきました。写真には沖縄本島の島影がうっすらと写っていました。近いんですねぇ。
海上集会と並んでもう一組の感動的な写真が!見開きの社会面です。右26面に与論町のかがり火と子どもたちの笑顔。左27面には「希望」や「友情」と書かれた松明によって点火された辺戸岬のかがり火。向かい合った一組の写真が、海を隔ててかがり火を見つめる与論町と辺戸岬の人々を結びつけています。どちらも午後7時過ぎに子どもたちによって点火されたそうです。歴史を学ぶ子どもたちや放送部の高校生のこともまた紹介したいと思います。
2012年04月28日
オレンジケーキ
最近よく作るオレンジケーキです。

材料(パウンドケーキ型小さ目2本分)
A 小麦粉200g 砂糖(三温糖orきび砂糖)130g 黒糖5g 塩小さじ1 ベーキングパウダー小さじ1 シナモン小さじ1 ナツメグ小さじ4分の1
B オレンジジュース60cc ブランデー60cc サラダ油80cc
C 卵2個
D レーズン2分の1カップ クルミ2分の1カップ オレンジピール(オレンジの皮1個分)
作り方
1. 小麦粉・砂糖・ベーキングパウダーをよくふるってからAを混ぜる。
2. Bを加えて混ぜる。
3. よくかき混ぜた卵を加えて混ぜる。
4. クルミ・オレンジピールは刻んでからDを加えて混ぜる。
5. 180度に予熱したオーブンで約35分。竹串をさして何もついてこなければ完成。
6. ラップに包んでしばらく置くと味がなじみます。

オレンジピールも作ってみました。食べたオレンジの皮を3回ゆでこぼして、皮の重さの70%の砂糖で煮詰めます。皮が透き通ったらザルなどに乗せて乾燥させます。乾燥は3時間ぐらいかかります。でもほうっておけばできてます。たいていケーキを作る前日に作っています。そしてケーキの材料も作る前の晩に計って用意しておくと、翌朝は次々と混ぜるだけです。分散型で作ると思ったより簡単にできてしまいます。もっとお手軽にするには、ホットケーキミックスとマーマレードを使うといいかもしれません。

材料(パウンドケーキ型小さ目2本分)
A 小麦粉200g 砂糖(三温糖orきび砂糖)130g 黒糖5g 塩小さじ1 ベーキングパウダー小さじ1 シナモン小さじ1 ナツメグ小さじ4分の1
B オレンジジュース60cc ブランデー60cc サラダ油80cc
C 卵2個
D レーズン2分の1カップ クルミ2分の1カップ オレンジピール(オレンジの皮1個分)
作り方
1. 小麦粉・砂糖・ベーキングパウダーをよくふるってからAを混ぜる。
2. Bを加えて混ぜる。
3. よくかき混ぜた卵を加えて混ぜる。
4. クルミ・オレンジピールは刻んでからDを加えて混ぜる。
5. 180度に予熱したオーブンで約35分。竹串をさして何もついてこなければ完成。
6. ラップに包んでしばらく置くと味がなじみます。

オレンジピールも作ってみました。食べたオレンジの皮を3回ゆでこぼして、皮の重さの70%の砂糖で煮詰めます。皮が透き通ったらザルなどに乗せて乾燥させます。乾燥は3時間ぐらいかかります。でもほうっておけばできてます。たいていケーキを作る前日に作っています。そしてケーキの材料も作る前の晩に計って用意しておくと、翌朝は次々と混ぜるだけです。分散型で作ると思ったより簡単にできてしまいます。もっとお手軽にするには、ホットケーキミックスとマーマレードを使うといいかもしれません。
2012年04月26日
離島高校生への支援
高校の無い離島の高校生に対する国の経済的支援が始まるそうです。今年度から始まる「離島高校生修学支援事業」は1人当たり年額15万円で、国が2分の1、残りを県や市町村が補助する制度だそうです。全国で約2400人が対象となり、沖縄県の対象者はその4分の1を占める約650人ということです。
全国の有人離島306島中、高校未設置の270島が対象だそうです。全国にはこんなに多くの有人離島があるんですね。有人離島が最も多い長崎県では2分の1を県が補助するという形で予算計上をし、山口県でも4分の1を県が補助するという方針だそうです。鹿児島県は予算化していないということです。鹿児島県では、同県に多い山間僻地からの通学者に対する制度がない中で離島の生徒だけに補助を行うのは難しいとの考えだそうです。いろいろ事情が違うものだと思いました。
当然、離島の保護者や教育関係者は支援事業を歓迎です。もちろん離島県の沖縄県では真っ先に予算計上かと思いきや、未定だそうです。県教育庁の対応の遅れを指摘する声が挙がっているという記事が21日の沖縄タイムスにありました。県は国の一括交付金を活用した離島振興の一環として、離島・へき地出身高校生の寄宿舎を含めた「離島児童・生徒支援センター」の建設を計画しているそうです。それはそれでとてもいいことです。沖縄タイムスで連載の「十五の春」の中でも子ども一人でアパート暮らしをさせるより学生寮があるといいという声もあったと思います。でも今は「支援センター」は計画の段階でしかないのですから、今年入学した生徒たちは親類の家やアパートでの暮らしになるわけです。子どもが島を離れて二重生活になり、経済的に逼迫している家庭もたくさんあるはずです。沖縄タイムスのアンケートによると、仕送り額が月10万円を超える家庭が5割だそうです。
15の春を迎えて島を離れた新入生。緊張の4月が終わりに近づき、もうすぐGウィークが始まります。久々の再会となる家族も多いことでしょう。生徒が島へ帰るにしても家族が訪ねるにしても交通費が大きな負担です。「修学支援事業」に対する沖縄県の早急な対応を望みます。
全国の有人離島306島中、高校未設置の270島が対象だそうです。全国にはこんなに多くの有人離島があるんですね。有人離島が最も多い長崎県では2分の1を県が補助するという形で予算計上をし、山口県でも4分の1を県が補助するという方針だそうです。鹿児島県は予算化していないということです。鹿児島県では、同県に多い山間僻地からの通学者に対する制度がない中で離島の生徒だけに補助を行うのは難しいとの考えだそうです。いろいろ事情が違うものだと思いました。
当然、離島の保護者や教育関係者は支援事業を歓迎です。もちろん離島県の沖縄県では真っ先に予算計上かと思いきや、未定だそうです。県教育庁の対応の遅れを指摘する声が挙がっているという記事が21日の沖縄タイムスにありました。県は国の一括交付金を活用した離島振興の一環として、離島・へき地出身高校生の寄宿舎を含めた「離島児童・生徒支援センター」の建設を計画しているそうです。それはそれでとてもいいことです。沖縄タイムスで連載の「十五の春」の中でも子ども一人でアパート暮らしをさせるより学生寮があるといいという声もあったと思います。でも今は「支援センター」は計画の段階でしかないのですから、今年入学した生徒たちは親類の家やアパートでの暮らしになるわけです。子どもが島を離れて二重生活になり、経済的に逼迫している家庭もたくさんあるはずです。沖縄タイムスのアンケートによると、仕送り額が月10万円を超える家庭が5割だそうです。
15の春を迎えて島を離れた新入生。緊張の4月が終わりに近づき、もうすぐGウィークが始まります。久々の再会となる家族も多いことでしょう。生徒が島へ帰るにしても家族が訪ねるにしても交通費が大きな負担です。「修学支援事業」に対する沖縄県の早急な対応を望みます。
2012年04月23日
ユンヂチ
待っていた4月21日付の沖縄タイムスが届きました。今日のお目当ては日付にあります。そのわけは…?3月22日が旧暦の3月1日でした。ところが4月21日も旧暦の3月1日なのです。このマジック、わかりますか?閏月(うるうづき)なのです。沖縄では「ユンヂチ」と呼ばれています。ありました!確かに、「旧閏3月1日」と書いてありました。前日は「旧3月30日」だったのに。
告別式広告欄に葬祭場やお墓の広告もあります。そこで「今年はユンヂチ」という言葉を目にすることが多くなって、とても気になっていました。霊園の広告では、あの登川誠仁さん(「ナビィの恋」のオジー役の)も「全区画永代使用料ユンヂチ価格にて案内中」の文字の隣で「せーぐゎーの看板が目印どぉー。」と微笑んでいます。「ユンヂチ」という言葉はわりと聞くのですが、正確には知りませんでした。沖縄タイムスに「節日(シチビ)ありんくりん」という連載があります。沖縄県文化財保護委員の崎原恒新さんが書いているもので毎回楽しみにしています。今月初めには「ユンヂチ」を採りあげていました。珍しいので紹介します。
まとめると、こんな感じです。私たちが使っている太陽暦は、2月を除いて31日か30日です。それに対して旧暦は30日と29日で1年354日です。毎年11日分不足してしまいます。それを集めて1か月分たまると、もう1回同じ月を繰り返して調整します。これが「ユンヂチ」というものです。誤差の少ない太陽暦では閏年で済みますが、旧暦では閏月で頻繁に調整の必要があるわけです。私たちが旧暦と言っているのは本物の旧暦ではなく、調整機能を持った太陽太陰暦なのだそうです。
というわけで、今年は3月が2回繰り返されることになります。今は2回目の3月です。沖縄の祭祀は「ユンヂチ」の前の月で行い、後の月では形だけか全くしないかだそうです。前の月は本物で後の月は空月、つまり空蝉ということです。そこでどんなことが起こるか、と言うと、空蝉の後の月で不吉なことをしてしまえ、ということになります。例えばお墓を新築したり開けたりすることなどは死の準備で縁起でもないことになりますが、空蝉の月だったら、なかったことになります。というわけで、お墓の販売業者にとっては閏月のある年は書き入れ時なのだそうです。実際は閏月でなくても墓は毎年作られていると崎原さんは書いていますけれども。
さて、21日から始まった閏3月。三日坊主を気にせず何か始めてみましょうか?なかったことになるなら。
告別式広告欄に葬祭場やお墓の広告もあります。そこで「今年はユンヂチ」という言葉を目にすることが多くなって、とても気になっていました。霊園の広告では、あの登川誠仁さん(「ナビィの恋」のオジー役の)も「全区画永代使用料ユンヂチ価格にて案内中」の文字の隣で「せーぐゎーの看板が目印どぉー。」と微笑んでいます。「ユンヂチ」という言葉はわりと聞くのですが、正確には知りませんでした。沖縄タイムスに「節日(シチビ)ありんくりん」という連載があります。沖縄県文化財保護委員の崎原恒新さんが書いているもので毎回楽しみにしています。今月初めには「ユンヂチ」を採りあげていました。珍しいので紹介します。
まとめると、こんな感じです。私たちが使っている太陽暦は、2月を除いて31日か30日です。それに対して旧暦は30日と29日で1年354日です。毎年11日分不足してしまいます。それを集めて1か月分たまると、もう1回同じ月を繰り返して調整します。これが「ユンヂチ」というものです。誤差の少ない太陽暦では閏年で済みますが、旧暦では閏月で頻繁に調整の必要があるわけです。私たちが旧暦と言っているのは本物の旧暦ではなく、調整機能を持った太陽太陰暦なのだそうです。
というわけで、今年は3月が2回繰り返されることになります。今は2回目の3月です。沖縄の祭祀は「ユンヂチ」の前の月で行い、後の月では形だけか全くしないかだそうです。前の月は本物で後の月は空月、つまり空蝉ということです。そこでどんなことが起こるか、と言うと、空蝉の後の月で不吉なことをしてしまえ、ということになります。例えばお墓を新築したり開けたりすることなどは死の準備で縁起でもないことになりますが、空蝉の月だったら、なかったことになります。というわけで、お墓の販売業者にとっては閏月のある年は書き入れ時なのだそうです。実際は閏月でなくても墓は毎年作られていると崎原さんは書いていますけれども。
さて、21日から始まった閏3月。三日坊主を気にせず何か始めてみましょうか?なかったことになるなら。
2012年04月21日
首里の不発弾・嘉手納の廃弾
沖縄戦の激戦地だった首里に今も残る不発弾、嘉手納基地にある廃弾。過去の戦場にあった不発弾と現代の基地にある廃弾。どちらももっと知らされていい問題だと思います。
15日に、またまた首里高校で不発弾処理があったそうです。昨年からたびたび実施されてきた不発弾処理ですが、今回の避難は大規模だったようです。沖縄タイムスの写真を見てびっくりしました。首里高校のグランドで報道陣に公開された不発弾の後ろにいる自衛隊員が小さく見えます。今までに私が見た不発弾の中で一番の大きさです。なんと、250㎏もある米国製爆弾。直径35㎝、長さは120㎝だそうです。845世帯95事業所、2350人が避難対象となりました。
首里城近くのホテル、日航那覇グランドキャッスルでは14日の宿泊はゼロ、15日は処理の時間休止したそうです。首里城では駐車場付近が避難区域と重なって不通となり、大雨の中、観光客は遠回りをさせられたということです。沖縄タイムスは、怖がる観光客や交通規制のために世界遺産の玉陵を見られず落胆して帰路に就く観光客の声を伝えていました。不発弾は日常生活の危険だけでなく、商業施設やホテルなどにとっても大きな負担です。
18日には、嘉手納基地で使用不能になった弾薬(「廃弾」というそうです。)の爆破処理が行われたそうです。18日は水曜日です。平日の作業は昨年の10月7日以来。読谷村が昨年10月の学力テスト中の爆音に抗議して日曜日の実施になったはずでした。今回の実施に対して基地報道部は破砕性がない種類の弾薬のため、と答えたそうですが、わかってないのかわかってないふりをしているのか!爆発の危険はもちろんですが、爆発音が問題なんですよね。学校なんですから。基地から2㎞の喜名小学校でも約2時間半の授業時間中に24回も爆発音が響いたそうです。ガラス窓が振動した教室もあったというのですから、先生の声や生徒の思考は何回も途切れてしまったことでしょう!信じられない状況です。
ミサイルの発射よりも、オスプレイやFA18の墜落や騒音、そして不発弾や廃弾処理などの方が日常的な大問題です。本土のメディアはもっと報道してほしいと思っています。
15日に、またまた首里高校で不発弾処理があったそうです。昨年からたびたび実施されてきた不発弾処理ですが、今回の避難は大規模だったようです。沖縄タイムスの写真を見てびっくりしました。首里高校のグランドで報道陣に公開された不発弾の後ろにいる自衛隊員が小さく見えます。今までに私が見た不発弾の中で一番の大きさです。なんと、250㎏もある米国製爆弾。直径35㎝、長さは120㎝だそうです。845世帯95事業所、2350人が避難対象となりました。
首里城近くのホテル、日航那覇グランドキャッスルでは14日の宿泊はゼロ、15日は処理の時間休止したそうです。首里城では駐車場付近が避難区域と重なって不通となり、大雨の中、観光客は遠回りをさせられたということです。沖縄タイムスは、怖がる観光客や交通規制のために世界遺産の玉陵を見られず落胆して帰路に就く観光客の声を伝えていました。不発弾は日常生活の危険だけでなく、商業施設やホテルなどにとっても大きな負担です。
18日には、嘉手納基地で使用不能になった弾薬(「廃弾」というそうです。)の爆破処理が行われたそうです。18日は水曜日です。平日の作業は昨年の10月7日以来。読谷村が昨年10月の学力テスト中の爆音に抗議して日曜日の実施になったはずでした。今回の実施に対して基地報道部は破砕性がない種類の弾薬のため、と答えたそうですが、わかってないのかわかってないふりをしているのか!爆発の危険はもちろんですが、爆発音が問題なんですよね。学校なんですから。基地から2㎞の喜名小学校でも約2時間半の授業時間中に24回も爆発音が響いたそうです。ガラス窓が振動した教室もあったというのですから、先生の声や生徒の思考は何回も途切れてしまったことでしょう!信じられない状況です。
ミサイルの発射よりも、オスプレイやFA18の墜落や騒音、そして不発弾や廃弾処理などの方が日常的な大問題です。本土のメディアはもっと報道してほしいと思っています。
2012年04月19日
基地内の清明祭
何度か清明祭(シーミー)のことを書きましたが、沖縄では15日がシーミーのピークだったそうです。中国とは違って、沖縄ではシーミーの時期に幅があるようです。
16日の沖縄タイムスには、「金網の中 シーミー」という見出しの記事がありました。500人の住民が米軍に基地内の立ち入りを許可されて、施設内にある先祖の墓参りをしたそうです。写真には墓前に手を合わせる比嘉さん一家の姿が写っていました。今月初めに沖縄タイムスで見た、親族一同が墓前に会してごちそうを囲むにぎやかなシーミーではありませんでした。金網の中にあるお墓では、家族で手を合わせるのが精いっぱいのシーミーだったのでしょう。
自分の土地にあるお墓なのに米軍の許可がいる、というなんとも理不尽な現実がここにもあると思いました。沖縄戦で米軍が住民の土地を接収して基地を建設したので、普天間基地の9割が民有地なのだそうです。基地の中にお墓があるのも当然です。そういえば普天間基地に隣接している佐喜真美術館にも立派な亀甲墓がありました。
あらためて普天間基地の成り立ちを整理してみます。1945年の4月1日に米軍が本島中部の海岸に上陸しました。2日にはチビチリガマの「集団自決」がありました。宜野湾市嘉数には日本軍の陣地があり、激しい攻防が繰り広げられたわけです。日本軍は南部に後退し、6月には米軍が本土爆撃のために普天間飛行場を建設します。住民が収容所から戻ってくると自分の住む集落が基地になっていたのです。普天間飛行場の周辺は、役場や小学校のあったところだそうです。60以上の集落が破壊されたといいます。終戦になってからも本土から海兵隊の移駐が始まり新たな土地接収が始まります。飛行場建設のための土地接収については、しばしば「銃剣とブルドーザー」という言葉がつかわれます。銃剣で住民を追い出し、ブルドーザーが住居地区を壊して飛行場が建設されたという意味です。
年に1度、シーミーのための立ち入りを住民に許可するという米軍。2008年にケビン・メア駐沖縄米総領事は、飛行場周辺に住宅地が密集する状況について「なぜ(宜野湾)市が建設を許しているのか疑問がある」と述べました。もともと住んでいるところを追い出されて、危険で狭い所に追いやられているのに!なんて恥知らずな言葉だと憤慨したことを思い出しました。
16日の沖縄タイムスには、「金網の中 シーミー」という見出しの記事がありました。500人の住民が米軍に基地内の立ち入りを許可されて、施設内にある先祖の墓参りをしたそうです。写真には墓前に手を合わせる比嘉さん一家の姿が写っていました。今月初めに沖縄タイムスで見た、親族一同が墓前に会してごちそうを囲むにぎやかなシーミーではありませんでした。金網の中にあるお墓では、家族で手を合わせるのが精いっぱいのシーミーだったのでしょう。
自分の土地にあるお墓なのに米軍の許可がいる、というなんとも理不尽な現実がここにもあると思いました。沖縄戦で米軍が住民の土地を接収して基地を建設したので、普天間基地の9割が民有地なのだそうです。基地の中にお墓があるのも当然です。そういえば普天間基地に隣接している佐喜真美術館にも立派な亀甲墓がありました。
あらためて普天間基地の成り立ちを整理してみます。1945年の4月1日に米軍が本島中部の海岸に上陸しました。2日にはチビチリガマの「集団自決」がありました。宜野湾市嘉数には日本軍の陣地があり、激しい攻防が繰り広げられたわけです。日本軍は南部に後退し、6月には米軍が本土爆撃のために普天間飛行場を建設します。住民が収容所から戻ってくると自分の住む集落が基地になっていたのです。普天間飛行場の周辺は、役場や小学校のあったところだそうです。60以上の集落が破壊されたといいます。終戦になってからも本土から海兵隊の移駐が始まり新たな土地接収が始まります。飛行場建設のための土地接収については、しばしば「銃剣とブルドーザー」という言葉がつかわれます。銃剣で住民を追い出し、ブルドーザーが住居地区を壊して飛行場が建設されたという意味です。
年に1度、シーミーのための立ち入りを住民に許可するという米軍。2008年にケビン・メア駐沖縄米総領事は、飛行場周辺に住宅地が密集する状況について「なぜ(宜野湾)市が建設を許しているのか疑問がある」と述べました。もともと住んでいるところを追い出されて、危険で狭い所に追いやられているのに!なんて恥知らずな言葉だと憤慨したことを思い出しました。
2012年04月16日
16年目の普天間
米兵による少女暴行事件によって沖縄中の怒りが燃え上がった1995年。翌年の4月12日に日米両政府によって、米軍普天間飛行場の全面返還が合意されました。それから16年がたちました。
今日届いた沖縄タイムスは13日と14日の2日分。13日の1面トップは、「オスプレイ墜落 2米兵死亡」の見出しでした。社会面には「墜落機『配備するな』」の見出しがありました。リード文には、「米軍普天間飛行場の返還合意から16年たった12日、宜野湾市に届いたのは、米国でのオスプレイ墜落死亡事故のニュースと、FA18ホーネット戦闘攻撃機やF15戦闘機の普天間飛来による爆音禍だった」と書かれていました。宜野湾市の騒音110番には「吐き気と頭痛がする」「うるさいので子どもを実家に預けた」などの悲痛な声が21件寄せられたとのことでした。
前回のブログで、モロッコでのオスプレイ墜落事故についての報道が「ミサイル」の陰に隠れて小さなものだったことを書きました。オスプレイの事故だけでなく返還合意16年という節目の日付も本土ではあまり報道されてないと思います。返還を実現できないでいる政府にとっては都合がよかったかもしれませんが、辺野古移設やオスプレイ配備への反発がますます高まることは間違いないと思います。
沖縄タイムスを読み返しながら、4月12日前後の出来事を整理してみました。
4月7日には、FA18戦闘機が米バージニア州の住宅地に墜落炎上しました。
4月10日には、FA18戦闘機が普天間飛行場で離着陸訓練を行い、普天間第2小学校では入学式が一時中断しました。114デシベルの騒音を記録したそうです。FA18戦闘機だけでなくKC130空中給油機、UC35ジェット連絡機、CH53大型ヘリ、CH46中型へり、P3C哨戒機などが飛来し、「市内は上空からあらゆる騒音が幾度も幾度も降り注いだ」そうです。宜野湾市ではFA18の騒音が100デシベルを超える(クラクション前方2メートル相当)ことが15回もありました。市では沖縄防衛局に「7日、FA18が米国で墜落事故を起こしながら、市に説明もなく普天間飛行場に飛来し、市民に騒音被害を与えたことは断じて容認できない」という要請書を手渡したということです。
4月11日には嘉手納町の屋良小学校で94デシベルの騒音を記録、併設する屋良幼稚園の入園式は3度中断しました。
4月12日には、AV8Bハリアー垂直離着陸攻撃機が胴体をたたきつけるように着陸するトラブルが嘉手納基地でありました。
オスプレイの配備に対しては、仲井真知事、佐喜真宜野湾市長、稲嶺名護市長と3人の首長がそろって容認できないことを明言しました。辺野古移設もオスプレイも許さないというのがもはや無視できない民意なのだと思います。これ以上騒音や墜落の危険性のある日常を強いることは沖縄差別でしかありません。
今日届いた沖縄タイムスは13日と14日の2日分。13日の1面トップは、「オスプレイ墜落 2米兵死亡」の見出しでした。社会面には「墜落機『配備するな』」の見出しがありました。リード文には、「米軍普天間飛行場の返還合意から16年たった12日、宜野湾市に届いたのは、米国でのオスプレイ墜落死亡事故のニュースと、FA18ホーネット戦闘攻撃機やF15戦闘機の普天間飛来による爆音禍だった」と書かれていました。宜野湾市の騒音110番には「吐き気と頭痛がする」「うるさいので子どもを実家に預けた」などの悲痛な声が21件寄せられたとのことでした。
前回のブログで、モロッコでのオスプレイ墜落事故についての報道が「ミサイル」の陰に隠れて小さなものだったことを書きました。オスプレイの事故だけでなく返還合意16年という節目の日付も本土ではあまり報道されてないと思います。返還を実現できないでいる政府にとっては都合がよかったかもしれませんが、辺野古移設やオスプレイ配備への反発がますます高まることは間違いないと思います。
沖縄タイムスを読み返しながら、4月12日前後の出来事を整理してみました。
4月7日には、FA18戦闘機が米バージニア州の住宅地に墜落炎上しました。
4月10日には、FA18戦闘機が普天間飛行場で離着陸訓練を行い、普天間第2小学校では入学式が一時中断しました。114デシベルの騒音を記録したそうです。FA18戦闘機だけでなくKC130空中給油機、UC35ジェット連絡機、CH53大型ヘリ、CH46中型へり、P3C哨戒機などが飛来し、「市内は上空からあらゆる騒音が幾度も幾度も降り注いだ」そうです。宜野湾市ではFA18の騒音が100デシベルを超える(クラクション前方2メートル相当)ことが15回もありました。市では沖縄防衛局に「7日、FA18が米国で墜落事故を起こしながら、市に説明もなく普天間飛行場に飛来し、市民に騒音被害を与えたことは断じて容認できない」という要請書を手渡したということです。
4月11日には嘉手納町の屋良小学校で94デシベルの騒音を記録、併設する屋良幼稚園の入園式は3度中断しました。
4月12日には、AV8Bハリアー垂直離着陸攻撃機が胴体をたたきつけるように着陸するトラブルが嘉手納基地でありました。
オスプレイの配備に対しては、仲井真知事、佐喜真宜野湾市長、稲嶺名護市長と3人の首長がそろって容認できないことを明言しました。辺野古移設もオスプレイも許さないというのがもはや無視できない民意なのだと思います。これ以上騒音や墜落の危険性のある日常を強いることは沖縄差別でしかありません。
2012年04月14日
「ミサイル」とオスプレイ
昨日今日とテレビも新聞も北朝鮮の「ミサイル」失敗のニュースばかりです。打ち上げ失敗の後はJアラートやエムネットなど緊急報道の在り方に話題が移っています。ここしばらくは「ミサイル」やらPAC3やら自衛隊の銃携行やらと物騒な話題が続きました。沖縄修学旅行や個人旅行のキャンセルなど観光への影響もありました。連日の過熱報道で沖縄の皆さんは不安な日々を過ごしていたと思いますが、大きな被害がなくひとまずホッとしました。
沖縄タイムスの記事を読みながら考えました。不安というのは、テレビの報道が強調する「ミサイル」の打ち上げやJアラートの不具合に対する不安だけではないのだと。銃を携行する自衛隊やものものしいPAC3の移送の姿に対する心理的な不安も大きいのだと。沖縄戦を体験した人々にとって、Jアラートの試験で使われた「攻撃対象地域 沖縄県」という文言が受け入れ難いものだということも。(その後の試験では「攻撃」の文字は除かれましたが。)
打ち上げを前にエスカレートする報道を見ながらこんなことも思っていました。沖縄では、「ミサイル」打ち上げの脅威よりも、米軍機の騒音や墜落、米兵がらみの事件など、いつもタイムスで見るそれらへの不安の方が切実なのではないかと。そんなある日、遅れて届いた4月8日付沖縄タイムスの投書欄にやっぱりと思う意見がありました。「戦闘ムードは悪夢の再来だ」と題する投書でした。沖縄戦を生き延びた77歳の當間さんは、「今の戦闘ムードは悪夢の再来だ。なぜミサイルとか着弾とか不安をあおるのか。日常的に県民の頭上をかすめる無数の米軍機は何百倍も危険ではないのか。…山野には遺骨も不発弾もごろごろあるのに基地強化は御免だ。沖縄を二度と戦場や基地にしてはならない」と書いていました。
4月10日、普天間第二小学校では米軍機の騒音で入学式が中断したそうです。11日にはモロッコでオスプレイが墜落事故を起こして2名の米兵が死亡しました。このニュースを偶然テレビで見たのですが、オスプレイの事故のニュースはすぐに終わり、あっという間に「ミサイル」の話題に切り替わってしまいました。大変なニュースだ!と思いましたが、全国的には「ミサイル」の陰に隠れて大きな報道とはなりませんでした。オスプレイは普天間への配備がアセスに追加された垂直離着陸輸送機です。「後出しじゃんけん」と批判されています。かねてから危険性が指摘されているので「後出し」にしたわけです。そこへ今回のモロッコでの事故です。沖縄の人々にとってはオスプレイの方が「ミサイル」よりずっとずっと切実な脅威に違いないと思うのですが、全国紙やテレビではあまり報道されません。でも、最近、毎日新聞の大治朋子記者が沖縄問題を熱っぽく記事にしています。とても期待しています。
沖縄タイムスの記事を読みながら考えました。不安というのは、テレビの報道が強調する「ミサイル」の打ち上げやJアラートの不具合に対する不安だけではないのだと。銃を携行する自衛隊やものものしいPAC3の移送の姿に対する心理的な不安も大きいのだと。沖縄戦を体験した人々にとって、Jアラートの試験で使われた「攻撃対象地域 沖縄県」という文言が受け入れ難いものだということも。(その後の試験では「攻撃」の文字は除かれましたが。)
打ち上げを前にエスカレートする報道を見ながらこんなことも思っていました。沖縄では、「ミサイル」打ち上げの脅威よりも、米軍機の騒音や墜落、米兵がらみの事件など、いつもタイムスで見るそれらへの不安の方が切実なのではないかと。そんなある日、遅れて届いた4月8日付沖縄タイムスの投書欄にやっぱりと思う意見がありました。「戦闘ムードは悪夢の再来だ」と題する投書でした。沖縄戦を生き延びた77歳の當間さんは、「今の戦闘ムードは悪夢の再来だ。なぜミサイルとか着弾とか不安をあおるのか。日常的に県民の頭上をかすめる無数の米軍機は何百倍も危険ではないのか。…山野には遺骨も不発弾もごろごろあるのに基地強化は御免だ。沖縄を二度と戦場や基地にしてはならない」と書いていました。
4月10日、普天間第二小学校では米軍機の騒音で入学式が中断したそうです。11日にはモロッコでオスプレイが墜落事故を起こして2名の米兵が死亡しました。このニュースを偶然テレビで見たのですが、オスプレイの事故のニュースはすぐに終わり、あっという間に「ミサイル」の話題に切り替わってしまいました。大変なニュースだ!と思いましたが、全国的には「ミサイル」の陰に隠れて大きな報道とはなりませんでした。オスプレイは普天間への配備がアセスに追加された垂直離着陸輸送機です。「後出しじゃんけん」と批判されています。かねてから危険性が指摘されているので「後出し」にしたわけです。そこへ今回のモロッコでの事故です。沖縄の人々にとってはオスプレイの方が「ミサイル」よりずっとずっと切実な脅威に違いないと思うのですが、全国紙やテレビではあまり報道されません。でも、最近、毎日新聞の大治朋子記者が沖縄問題を熱っぽく記事にしています。とても期待しています。
2012年04月12日
お花見
咲き始めたと思ったら、今日はあっという間に満開の桜でした。最近笑顔の少なくなった母をお花見に連れ出しました。去年は震災前に偕楽園の梅を見せようと思い、私ひとり下見に行ったのですが、震災で計画はご破算に。以来、母は家を出ることもなく、今日は本当に久しぶりの外出でした。
母はパーキンソンが進行し、最近とみに背中や首が前に曲がり、足首も固くむくみもあります。助手席に乗せて走るのは、けっこう気を遣います。シートベルトが首の方にずれてこないか、足元は苦しくないか、車酔いはしないか、などなど。それでも5分ぐらいで近くの公園に到着しました。

見事な桜です。駐車場は平日なのに、ほぼ満杯の状態。助手席側に十分なスペースが無いと車椅子への移譲は危険です。やっと見つけました。一番端に2台分の空きスペースです。これなら安心です。無事車椅子へ。気が付けば、駐車場にはデイサービスの車が多く、公園の中には同じように車椅子のお年寄りがたくさんいました。思ったより足元の凸凹は少なく、気持ち良い風の中、ゆっくり公園を廻ることができました。満開の桜や雪柳の近くで、久々の笑顔の写真が撮れました。

帰ってきて「少し疲れた」ということでしたが、「明日は枝垂桜を見に行こうか」と言うと、まんざらでもなさそうでした。近くに枝垂桜で有名なお寺もあるのです。今年は寒かったせいか普通の桜も枝垂桜も一緒に満開の時を迎えました。にぎやかなことです。
母はパーキンソンが進行し、最近とみに背中や首が前に曲がり、足首も固くむくみもあります。助手席に乗せて走るのは、けっこう気を遣います。シートベルトが首の方にずれてこないか、足元は苦しくないか、車酔いはしないか、などなど。それでも5分ぐらいで近くの公園に到着しました。

見事な桜です。駐車場は平日なのに、ほぼ満杯の状態。助手席側に十分なスペースが無いと車椅子への移譲は危険です。やっと見つけました。一番端に2台分の空きスペースです。これなら安心です。無事車椅子へ。気が付けば、駐車場にはデイサービスの車が多く、公園の中には同じように車椅子のお年寄りがたくさんいました。思ったより足元の凸凹は少なく、気持ち良い風の中、ゆっくり公園を廻ることができました。満開の桜や雪柳の近くで、久々の笑顔の写真が撮れました。

帰ってきて「少し疲れた」ということでしたが、「明日は枝垂桜を見に行こうか」と言うと、まんざらでもなさそうでした。近くに枝垂桜で有名なお寺もあるのです。今年は寒かったせいか普通の桜も枝垂桜も一緒に満開の時を迎えました。にぎやかなことです。
2012年04月11日
吉林の清明節
先日、清明について中国からメールをいただいたことを書きましたが、そのSさんの文章が今日の茨城新聞に載っています。「中国吉林便り」というタイトルです。茨城の方は、ぜひ読んでください。「万物すべてがすがすがしく明るくなるころだそうである」というSさんの言葉に、まさしく「清」は「清ら=すがすがしい」、そして「明るい」時節なのだと思いました。清明節を知らせる大学構内の立て看板の写真もありました。柳らしき枝が芽吹き、全体に緑がかった色調で、北国の春の訪れが感じられる立て看でした。
Sさんは大学の先生なので、大学生の清明節の様子が書かれていました。4月2日から4日まで、中国では多くの大学が連休となるそうです。中国の大学は全寮制だそうで、実家の近い学生は清明節には里帰りをしてお墓参りをするそうです。一方、革命烈士のお墓掃除をする共産党員の学生もいるそうです。Sさんは学生たちに誘われて北山公園に出かけたり食事を楽しんだりして、のんびりとした連休になったようです。
沖縄とのかかわりについて、「日本では沖縄にこの風習が残っているようである。沖縄ではシーミーと呼ぶ。やはり祖先の墓にお参りするようである。沖縄と中国の地理的近さを感じさせられる」と書いてありました。確かに沖縄からは、中国も台湾も北朝鮮も韓国も近いですよね。でも清明節は沖縄本島に多く見られ、より中国に近い八重山などの離島にはあまりないと聞いたことがあります。伝達ルートの違いなのでしょうね。
Sさんは大学の先生なので、大学生の清明節の様子が書かれていました。4月2日から4日まで、中国では多くの大学が連休となるそうです。中国の大学は全寮制だそうで、実家の近い学生は清明節には里帰りをしてお墓参りをするそうです。一方、革命烈士のお墓掃除をする共産党員の学生もいるそうです。Sさんは学生たちに誘われて北山公園に出かけたり食事を楽しんだりして、のんびりとした連休になったようです。
沖縄とのかかわりについて、「日本では沖縄にこの風習が残っているようである。沖縄ではシーミーと呼ぶ。やはり祖先の墓にお参りするようである。沖縄と中国の地理的近さを感じさせられる」と書いてありました。確かに沖縄からは、中国も台湾も北朝鮮も韓国も近いですよね。でも清明節は沖縄本島に多く見られ、より中国に近い八重山などの離島にはあまりないと聞いたことがあります。伝達ルートの違いなのでしょうね。
2012年04月07日
4月のハイビスカス
今年初めてのハイビスカスの花が咲きました。ここ数日の暖かさでハイビスカスの蕾がふくらんでいました。毎日少しずつ蕾の赤い部分が広がるのを楽しみにしていました。日中だけ外に出し、お日さまをいっぱい浴びさせて、夕方急いで部屋の中へ。そして部屋の中では、うっかり蕾に触って折ってしまわないように細心の注意を払って今日の日を迎えました。春は寒暖の差が激しく油断がなりませんからね。昨夜もそして今夜も最低気温はマイナスの予報です。

昨日訪問入浴のときに、看護師のKさんが、「わぁ~。ハイビスカス、咲きそうですね。」と気づいてくれました。リビングに浴槽を運び入れて、3人のスタッフで入浴をさせてくれます。皆さんに安心しておまかせてして私は食事の下ごしらえにかかります。入浴が始まる前に私は、テーブルや椅子を動かし、母を車椅子に載せてから、いつも母が座っている重い電動の椅子を移動します。入浴の邪魔にならないようにティッシュの箱やごみ箱など細々としたものも移動です。寒かった冬の間は部屋の中で防寒しているカランコエの鉢などをいくつも動かしました。週に2回の訪問入浴の度に、いろいろなものがちょっとしたお引越しとなります。こんな時にもハイビスカスの蕾が気になるわけです。
水戸でもやっと桜が咲き始めました。寒かった今年は梅と桜といっしょのお花見です。ハイビスカスも一輪だけ仲間入りです。

昨日訪問入浴のときに、看護師のKさんが、「わぁ~。ハイビスカス、咲きそうですね。」と気づいてくれました。リビングに浴槽を運び入れて、3人のスタッフで入浴をさせてくれます。皆さんに安心しておまかせてして私は食事の下ごしらえにかかります。入浴が始まる前に私は、テーブルや椅子を動かし、母を車椅子に載せてから、いつも母が座っている重い電動の椅子を移動します。入浴の邪魔にならないようにティッシュの箱やごみ箱など細々としたものも移動です。寒かった冬の間は部屋の中で防寒しているカランコエの鉢などをいくつも動かしました。週に2回の訪問入浴の度に、いろいろなものがちょっとしたお引越しとなります。こんな時にもハイビスカスの蕾が気になるわけです。
水戸でもやっと桜が咲き始めました。寒かった今年は梅と桜といっしょのお花見です。ハイビスカスも一輪だけ仲間入りです。
2012年04月06日
90デシベル
入学式を間近にしたNHK県域ニュースでこんな話題がありました。茨城県の代表的な地方銀行である常陽銀行が、茨城県内と福島県いわき市の新小学1年生全員に防犯ブザーを贈ったそうです。2匹の子犬が描かれ「絆」という文字の入ったブザーが紹介されていました。この防犯ブザーは90デシベルの音量が出るそうです。子どもを犯罪から救うための90デシベルは大音量でなければなりません。
「90デシベル」という言葉を聴きながら、私は記憶の糸をたどっていました。
先月、全国で行われた卒業式。沖縄県の嘉手納町立屋良小学校でも19日に卒業式が行われたそうです。沖縄タイムスの記事によると、式の始まった午前9時半にはすでに嘉手納基地から戦闘機が飛来、90デシベルを超える音量を記録したそうです。町では、昨年10月に米軍嘉手納基地に対して卒業式当日の飛行訓練自粛を要請していたそうですが、今回も聞き入れられなかったようです。町長の「飛行はないものだと思っていたので残念。2時間ほども我慢できないのか。」という怒りの言葉が載っていました。米軍の言う「良き隣人」という言葉は空しいばかりです。嘉手納・普天間と爆音訴訟が相次いでいます。でも沖縄の新聞を読む限り、騒音はいっそうひどくなり、学校行事の際の自粛要請も無視されているようです。普天間第二小学校では、3月に、100デシベルを超える騒音が教室で記録されたそうです。4月2日付の毎日新聞1面トップにありました。
人は70デシベルを超えると「うるさい」と感じるそうです。70デシベルは掃除機の音量、80デシベルはピアノの音量、90デシベルは犬の鳴き声、100デシベルは電車通過中の高架下の音量、110デシベルはクラクションの音量だそうです。
今回の防犯ブザーには子犬が描かれていましたが、90デシベルは子犬ではなく番犬の鳴き声の大きさでしょうね。ところが、基地周辺では防犯ブザーの音が聞こえないということになります。子どもを守る90デシベルではなく、日常の授業が中断される90デシベルです。そしてアメリカの学校は45デシベル以下という基準です。どう考えても異常です。
「90デシベル」という言葉を聴きながら、私は記憶の糸をたどっていました。
先月、全国で行われた卒業式。沖縄県の嘉手納町立屋良小学校でも19日に卒業式が行われたそうです。沖縄タイムスの記事によると、式の始まった午前9時半にはすでに嘉手納基地から戦闘機が飛来、90デシベルを超える音量を記録したそうです。町では、昨年10月に米軍嘉手納基地に対して卒業式当日の飛行訓練自粛を要請していたそうですが、今回も聞き入れられなかったようです。町長の「飛行はないものだと思っていたので残念。2時間ほども我慢できないのか。」という怒りの言葉が載っていました。米軍の言う「良き隣人」という言葉は空しいばかりです。嘉手納・普天間と爆音訴訟が相次いでいます。でも沖縄の新聞を読む限り、騒音はいっそうひどくなり、学校行事の際の自粛要請も無視されているようです。普天間第二小学校では、3月に、100デシベルを超える騒音が教室で記録されたそうです。4月2日付の毎日新聞1面トップにありました。
人は70デシベルを超えると「うるさい」と感じるそうです。70デシベルは掃除機の音量、80デシベルはピアノの音量、90デシベルは犬の鳴き声、100デシベルは電車通過中の高架下の音量、110デシベルはクラクションの音量だそうです。
今回の防犯ブザーには子犬が描かれていましたが、90デシベルは子犬ではなく番犬の鳴き声の大きさでしょうね。ところが、基地周辺では防犯ブザーの音が聞こえないということになります。子どもを守る90デシベルではなく、日常の授業が中断される90デシベルです。そしてアメリカの学校は45デシベル以下という基準です。どう考えても異常です。
2012年04月04日
清明の日に
今日4月4日は旧暦の3月13日です。春分から15日目、二十四節気のひとつ、「清明」です。我が家のカレンダーにも「清明」と書いてあります。でも茨城では特別な行事はありません。お彼岸が終わったばかりなので、「清明」の日にお墓参りということもありません。
中国の大学で日本語教師をしているSさんから昨日メールがあり、中国では「清明節」で連休中だということでした。「清明」の読み方を尋ねると、「清明節」は「チンミンジエ」だそうです。やっぱり中国語っぽいですね。早朝からお墓掃除に出かける学生もいるそうです。
沖縄では「清明祭」を「シーミー」と呼ぶことはよく知られています。もともとは中国から伝わった、清明節に行われる先祖の墓参りです。特別なごちそうをお墓に供え、親族そろってお参りをした後に、墓前でお料理をいただくそうです。誰でも初めて沖縄に行ったときには亀甲墓という大きなお墓に目を奪われます。私もそうでした。あの大きさでは、一族そろってのにぎやかな「シーミー」が十分可能です。沖縄タイムスは4月2日までしか手元に届いてないので見ていませんが、今年の「シーミー」の記事も楽しみです。
「清明節」のころの恋物語が漢文の教科書にありました。『人面桃花』という唐代のお話です。清明節の日、孤独な青年が、ある家の前で美しい女性と出会います。お互い一目ぼれだったのですが、思いを打ち明けられないまま女性の家を離れます。1年後、再び巡ってきた「清明節」の日に、今度こそ思いを告げようとして女性の家を訪ねますが、あいにく留守でした。失意の青年は扉に詩を書きつけて帰ります。桃の花のように美しかったあなたは、今、どこにいるのでしょうか、桃の花だけが去年のまま春風に微笑んでいます。こういう内容の詩です。ところが数日後、この家の前を通りかかると、泣き声が聞こえます。あの女性が青年に会えなかったことを嘆いて死んでしまったというのです。なんて悲しい話!と思いきや、結果は…。この青年が、死んでしまった女性を抱いて祈り、私はここにいますよ、と言うと、女性は目を開けたというのです。絵にかいたようなハッピーエンドです。授業で漢文を訳した夢見る乙女たち。このロマンスを理解したとたん、キャーキャーと大騒ぎの教室になったことは言うまでもありません。
中国の大学で日本語教師をしているSさんから昨日メールがあり、中国では「清明節」で連休中だということでした。「清明」の読み方を尋ねると、「清明節」は「チンミンジエ」だそうです。やっぱり中国語っぽいですね。早朝からお墓掃除に出かける学生もいるそうです。
沖縄では「清明祭」を「シーミー」と呼ぶことはよく知られています。もともとは中国から伝わった、清明節に行われる先祖の墓参りです。特別なごちそうをお墓に供え、親族そろってお参りをした後に、墓前でお料理をいただくそうです。誰でも初めて沖縄に行ったときには亀甲墓という大きなお墓に目を奪われます。私もそうでした。あの大きさでは、一族そろってのにぎやかな「シーミー」が十分可能です。沖縄タイムスは4月2日までしか手元に届いてないので見ていませんが、今年の「シーミー」の記事も楽しみです。
「清明節」のころの恋物語が漢文の教科書にありました。『人面桃花』という唐代のお話です。清明節の日、孤独な青年が、ある家の前で美しい女性と出会います。お互い一目ぼれだったのですが、思いを打ち明けられないまま女性の家を離れます。1年後、再び巡ってきた「清明節」の日に、今度こそ思いを告げようとして女性の家を訪ねますが、あいにく留守でした。失意の青年は扉に詩を書きつけて帰ります。桃の花のように美しかったあなたは、今、どこにいるのでしょうか、桃の花だけが去年のまま春風に微笑んでいます。こういう内容の詩です。ところが数日後、この家の前を通りかかると、泣き声が聞こえます。あの女性が青年に会えなかったことを嘆いて死んでしまったというのです。なんて悲しい話!と思いきや、結果は…。この青年が、死んでしまった女性を抱いて祈り、私はここにいますよ、と言うと、女性は目を開けたというのです。絵にかいたようなハッピーエンドです。授業で漢文を訳した夢見る乙女たち。このロマンスを理解したとたん、キャーキャーと大騒ぎの教室になったことは言うまでもありません。
2012年04月02日
首里城ツアー
1945年4月2日は読谷村にあるチビチリガマで「集団自決」のあった日です。昨年の今日のブログでも書いたように、チビチリガマとシムクガマは私の沖縄平和学習の原点です。読谷村は沖縄本島の真ん中あたりに位置しています。ここに米軍が上陸して地上戦が始まり、本島南部にまで日本軍が撤退するのと一緒におびただしい数の住民も犠牲となりました。ですから南部には摩文仁の丘があり、平和祈念資料館やひめゆりの塔があるわけです。観光客も修学旅行生も南部戦跡を巡ることになります。最近の修学旅行の平和学習では読谷村を訪れることも多くなりました。でも中部と南部の間にある首里城については戦争遺跡としては注目されていません。前回のブログでもこのことに触れたのですが、今日届いた沖縄タイムス(3月30日付)に、とても勉強になる文章がありました。
仲村清司さんの「オキナワ万華鏡」という連載です。今回は「首里城と一体の戦争遺跡」というタイトルでした。仲村さんはかつて、軽妙な文章で沖縄ブームの一翼を担った方ですが、近頃は沖縄の歴史や基地問題についても精力的に書いています。今回は、仲村さんが昨年から主宰している首里城ツアーのこともありました。このツアーでは、首里城の各施設を巡りながら琉球王朝の歴史を解説するのだそうです。現在、司令部壕の説明板が問題になっていますが、仲村さんのツアーはこの司令部壕のトーチカ跡からスタートするそうです。歴史遺産としてだけでなく貴重な戦争遺跡としての首里城の位置づけが鮮やかでした。
首里城について、観光客は「琉球王朝」という視点しか持っていないと思います。ところが仲村さんの文章によれば、琉球処分の後、つまり琉球王国でなくなった明治時代には首里城は日本軍の駐屯地に転用されたそうです。そして大正時代には正殿の裏に「沖縄神社」が創建されたそうです。首里城は軍国主義国家にとって都合の良い宗教施設とされ、やがて沖縄戦では日本軍の司令部が置かれたということになります。いまさら繰り返すまでもなく、と仲村さんが書くように、この司令部が首里で降伏して戦争が終結していればあれほどの住民の犠牲はなかったはずです。「沖縄戦の経過を視覚的にみせるよりどころとして、この32軍の遺構は十分すぎるほど説得力をもっている。僕があえてそこからスタートさせるのは、こうした理由があるからである。」と述べていました。
私は首里城の司令部壕のことは沖縄セミナーのおかげでかろうじて知っていましたが、明治時代に日本軍の兵舎だったことや、大正時代に「沖縄神社」だったという歴史は知りませんでした。まだまだ知らないことばかりです。
仲村清司さんの「オキナワ万華鏡」という連載です。今回は「首里城と一体の戦争遺跡」というタイトルでした。仲村さんはかつて、軽妙な文章で沖縄ブームの一翼を担った方ですが、近頃は沖縄の歴史や基地問題についても精力的に書いています。今回は、仲村さんが昨年から主宰している首里城ツアーのこともありました。このツアーでは、首里城の各施設を巡りながら琉球王朝の歴史を解説するのだそうです。現在、司令部壕の説明板が問題になっていますが、仲村さんのツアーはこの司令部壕のトーチカ跡からスタートするそうです。歴史遺産としてだけでなく貴重な戦争遺跡としての首里城の位置づけが鮮やかでした。
首里城について、観光客は「琉球王朝」という視点しか持っていないと思います。ところが仲村さんの文章によれば、琉球処分の後、つまり琉球王国でなくなった明治時代には首里城は日本軍の駐屯地に転用されたそうです。そして大正時代には正殿の裏に「沖縄神社」が創建されたそうです。首里城は軍国主義国家にとって都合の良い宗教施設とされ、やがて沖縄戦では日本軍の司令部が置かれたということになります。いまさら繰り返すまでもなく、と仲村さんが書くように、この司令部が首里で降伏して戦争が終結していればあれほどの住民の犠牲はなかったはずです。「沖縄戦の経過を視覚的にみせるよりどころとして、この32軍の遺構は十分すぎるほど説得力をもっている。僕があえてそこからスタートさせるのは、こうした理由があるからである。」と述べていました。
私は首里城の司令部壕のことは沖縄セミナーのおかげでかろうじて知っていましたが、明治時代に日本軍の兵舎だったことや、大正時代に「沖縄神社」だったという歴史は知りませんでした。まだまだ知らないことばかりです。
2012年03月31日
修学旅行と首里城
首里城、32軍司令部壕の続報です。28日、検討委員は県庁を訪れて首里城公園の司令壕説明板設置を抗議したそうです。説明板の撤去と修正を求めたようですが、県側は再協議を拒否したそうです。
今回の司令部壕説明板問題を考えていくうちに、こんな修学旅行プランが浮かんできました。一般に首里城見学は、旅行初日か最終日、国際通りの散策と合わせて実施されることが多いと思います。那覇空港発着の利便性を考えて1泊は那覇でという学校が多いのですから、駆け足の首里城見学ではなく、じっくり首里を味わう修学旅行プランはいかかでしょうか?沖縄旅行といえば、まず世界遺産の首里城が思い浮かびます。実際、一目見ただけで中国との深い関わりがわかってしまう建物の内外です。形といい色といい、ここは日本ではなく中国だというのが私の第一印象でした。スケールの大きさにもビックリでした。独自の歴史を歩んだ琉球王国のインパクトがあります。初めて見たガジュマルにも感動しました。1日中歩き回りたい「テンペスト」ファンもいるかもしれません。再建の苦労を、東日本大震災の復興と重ね合わせて考える人もいると思います。それぞれに首里城を堪能してほしいと思います。
そしてその後に、沖縄戦と首里城についても考えを深めてもらいたいと思います。首里城の地下に、学徒や住民を動員して作られた32軍司令部壕があることは知られていません。私も90年の沖縄セミナーの時に、説明板検討委員である村上有慶さんに案内されて入口まで行っただけです。現在、壕は落盤もあり、酸欠で倒れてしまうほどの危険な状態のために一般公開されていません。だからこそ意義のある説明板になるはずでした。今のところ県は文言の復活は認めないようですが、この問題について沖縄タイムスや琉球新報の記事で事前学習を進めて設置されてしまった説明板を確認するのも現代社会の勉強です。
首里城の建物や琉球王府の仕組みや歴史に触れ、沖縄戦の指揮をとった32司令部や日本軍についての考えを深め、沖縄戦による消失と再建の現代史を学ぶのです。そうすることで、司令部の近くにあった首里高校では、今も頻繁に不発弾が発見されているというつながりが理解できます。できれば作品を通して不発弾処理の発信に取り組んでいる首里高校の放送部と交流したり、珍しい染織デザイン科の様子も見せてもらえたらと思います。今よりもっと首里を厚みのある見学地にできると思います。近くには、壺屋焼き博物館があるやちむん通りもあります。また、鉄血勤皇隊の経験をもつ元沖縄県知事の太田昌秀さんの「沖縄戦写真展示館」が先月那覇市西にオープンしたということです。県立博物館もあります。首里城周辺にじっくりと時間をかけた修学旅行はいかがでしょうか?
今回の司令部壕説明板問題を考えていくうちに、こんな修学旅行プランが浮かんできました。一般に首里城見学は、旅行初日か最終日、国際通りの散策と合わせて実施されることが多いと思います。那覇空港発着の利便性を考えて1泊は那覇でという学校が多いのですから、駆け足の首里城見学ではなく、じっくり首里を味わう修学旅行プランはいかかでしょうか?沖縄旅行といえば、まず世界遺産の首里城が思い浮かびます。実際、一目見ただけで中国との深い関わりがわかってしまう建物の内外です。形といい色といい、ここは日本ではなく中国だというのが私の第一印象でした。スケールの大きさにもビックリでした。独自の歴史を歩んだ琉球王国のインパクトがあります。初めて見たガジュマルにも感動しました。1日中歩き回りたい「テンペスト」ファンもいるかもしれません。再建の苦労を、東日本大震災の復興と重ね合わせて考える人もいると思います。それぞれに首里城を堪能してほしいと思います。
そしてその後に、沖縄戦と首里城についても考えを深めてもらいたいと思います。首里城の地下に、学徒や住民を動員して作られた32軍司令部壕があることは知られていません。私も90年の沖縄セミナーの時に、説明板検討委員である村上有慶さんに案内されて入口まで行っただけです。現在、壕は落盤もあり、酸欠で倒れてしまうほどの危険な状態のために一般公開されていません。だからこそ意義のある説明板になるはずでした。今のところ県は文言の復活は認めないようですが、この問題について沖縄タイムスや琉球新報の記事で事前学習を進めて設置されてしまった説明板を確認するのも現代社会の勉強です。
首里城の建物や琉球王府の仕組みや歴史に触れ、沖縄戦の指揮をとった32司令部や日本軍についての考えを深め、沖縄戦による消失と再建の現代史を学ぶのです。そうすることで、司令部の近くにあった首里高校では、今も頻繁に不発弾が発見されているというつながりが理解できます。できれば作品を通して不発弾処理の発信に取り組んでいる首里高校の放送部と交流したり、珍しい染織デザイン科の様子も見せてもらえたらと思います。今よりもっと首里を厚みのある見学地にできると思います。近くには、壺屋焼き博物館があるやちむん通りもあります。また、鉄血勤皇隊の経験をもつ元沖縄県知事の太田昌秀さんの「沖縄戦写真展示館」が先月那覇市西にオープンしたということです。県立博物館もあります。首里城周辺にじっくりと時間をかけた修学旅行はいかがでしょうか?

